フランシス・シーモア (第5代サマセット公爵)
フランシス・シーモア Francis Seymour | |
---|---|
第5代サマセット公 | |
在位 | 1675年 – 1678年 |
称号 | トローブリッジのシーモア男爵 |
出生 | (1658-01-17) 1658年1月17日 |
死去 | (1678-04-20) 1678年4月20日(20歳没) |
家名 | シーモア家 |
父親 | 第2代トローブリッジのシーモア男爵チャールズ・シーモア(英語版) |
母親 | エリザベス・アリントン |
テンプレートを表示 |
第5代サマセット公爵フランシス・シーモア(英語: Francis Seymour, 5th Duke of Somerset、1658年1月17日 – 1678年4月20日)は、イングランド王国の貴族。1665年から1675年までトローブリッジのシーモア男爵の称号を使用した。
生涯
第2代トローブリッジのシーモア男爵チャールズ・シーモア(英語版)とエリザベス・アリントン(初代アリントン男爵ウィリアム・アリントン(英語版)の娘)の長男として[1]、1658年1月17日に生まれた[2]。
1665年に父が死去するとトローブリッジのシーモア男爵(英語版)を継承した[3]。1675年4月29日に祖父の甥にあたる第4代サマセット公爵ジョン・シーモアが死去すると、サマセット公爵を継承した[2]。
1678年4月20日、イタリア旅行中にフランス人の友人とともにレーリチの教会を訪れたとき、ボッティ家(Botti)の女性に無礼を働いたため、その1人の夫であるホラティオ・ボッティ(Horatio Botti)に射殺された[2][3]。母方の親族であるヒルドブランド・アリントン(英語版)(後の第5代アリントン男爵)はすぐにジェノヴァ共和国政府に抗議し、ホラティオ・ボッティは逃亡を試みた末絞首刑に処された[3]。
生涯未婚だったため、爵位は弟チャールズが継承した[2][3]。
脚注
- ^ Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1870.
- ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1871.
- ^ a b c d Collins, Arthur (1735). The Peerage of England (英語). Vol. I. London. p. 55.
関連図書
- McNeill, Ronald John (1911). "Somerset, Earls and Dukes of" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 25 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 385–386.
イングランドの爵位 | ||
---|---|---|
先代 ジョン・シーモア | サマセット公爵 1675年 – 1678年 | 次代 チャールズ・シーモア |
先代 チャールズ・シーモア(英語版) | トローブリッジのシーモア男爵(英語版) 1665年 – 1678年 |