羽前国(うぜんのくに)は、東北戦争終結直後に出羽国を分割し制定された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は羽後国とあわせて、または単独で羽州(うしゅう)。領域は現在の山形県のうち、飽海郡と酒田市北部(最上川以北)を除いた大部分にあたる。
沿革
- 「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点での、出羽国のうち後の羽前国内の支配は以下の通り(1,247村・946,578石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。
- 慶応2年6月19日(1866年7月30日) - 棚倉藩が武蔵川越藩に転封。棚倉藩には陸奥白河藩が転封。
- 慶応4年
- 明治元年
- 12月7日(1869年1月19日) - 出羽国が分割され、上記4郡が羽前国の所属となる。
- 12月15日(1869年1月27日) - 鶴岡藩・松山藩が減封。鶴岡藩は会津藩に転封(実行されず)。
- 12月18日(1869年1月30日) - 戊辰戦争後の処分により天童藩が減封。領地の一部が酒田民政局の管轄となる[注釈 1]。
- 12月22日(1869年2月3日) - 戊辰戦争後の処分により上山藩が減封。領地の一部が酒田民政局の管轄となる。
- 12月24日(1869年2月5日) - 白河藩が棚倉藩に転封(現状に即した形となる)。このときの減封により国内の領地が酒田民政局の管轄となる。
- 明治2年
- 6月22日(1869年7月30日)
- 鶴岡藩が磐城平藩に転封(実行されず)。
- 松山藩が改称して松嶺藩となる。
- 7月25日(1869年9月1日) - 鶴岡藩が鶴岡に復帰。
- 7月26日(1869年9月2日) - 酒田民政局の管轄区域に酒田県(第1次)が発足。
- 9月13日(1869年10月17日) - 鶴岡藩が改称して大泉藩となる。
- 11月11日(1869年12月13日) - 長瀞藩が藩庁を移転して上総大網藩となり、それにともなう領地替えで国内の領地が酒田県(第1次)の管轄となる。
- 明治3年
- 明治4年
- 明治8年(1875年)8月31日 - 酒田県(第2次)が県庁移転・改称して鶴岡県となる。
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により全域が山形県の管轄となる。
地域
郡
以下の四郡で構成された。
人口
明治5年(1872年)の調査では、人口56万0984人を数えた。
脚注
注釈
[脚注の使い方]
- ^ 「旧領旧高取調帳」では天童藩領の全域が天童県の管轄となっており、減封の対象となった村の詳細は不明。
- ^ 「旧領旧高取調帳」では佐倉県・館林県・館県・土浦県の管轄となっているが、誤記とみられる。
出典
- ^ 羽前國飛島管轄替関係絵図(国立公文書館デジタルアーカイブ)
参考文献
関連項目
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